ひょんな事から憧れのライカを手に入れた。
せっかくライカを手に入れたのだから撮影して画像をアップするくらいのことはしてみようかと思ったのである。
久しぶりにブログを開いてみたらこのブログはなんと4年も放置していた。
前回の更新は2013年となっている。金も仕事もなく、さらには体調も最低の時期だったからライカなんて考えもしなかった。それでも写真だけは中古で買ったNikon D90で撮っていた。
脱サラして鳴かず飛ばず、借金と病気、ダメな中年の代表だったボクがいかにしてライカを手に入れることができたのか、その流れもおいおい書いておこう。きっと読者の為になるものと思う。
さてライカを手に入れたから写真を撮りたくて散財旅行を始めた。ボクの稚拙な撮影でもLeica M10の描写力の凄さの一端は見えるだろうからマイペースだけど記事を書いていく。
なぜライカに惹かれたのか考えてみた
ざっとこんな項目だろうか。
ライカを調べれば調べるほどに神話がでてくる。神話がなければこれほどにも高額なこのカメラを買う人はいないだろう。ストーリーが魅力的であるからこそライカはカメラ界のトップであり続け趣味の王様と言われるのだ。
- M型エコ・システム
- 最高性能なのに小型軽量なレンズ
- レンズの性能を引き出すための最適なボディ設計
- クリアで目に優しい光学ファインダー
さてこれらをボクの主観に満ちた語りで綴っていこう。文章が下手とか感覚が稚拙だなどとは言わぬように。そんなことを言われたら恥ずかしくてすぐに引きこもってしまうガラスのハートの持ち主であるからだ。
M型エコシステムでファンを囲い込む
ライカがレンジファインダーをつくった時、M型というシステムをこの世に送り出した。ライカには素晴らしいレンズがたくさんあるのだがライカ以外のボディを使うとその性能を最大限には引き出せない。ライカシステムはレンズありきの設計である。すばらしいレンズをつくりその性能を引き出すためにボディを設計した。
ライカのレンズは現代のレンズと比較すると異様なほどに小さい。単純にF1.4のレンズを比較するとその違いに驚きを隠せない。仕事など確実な撮影が必要な時に使っているCanon 6D + SIGMA 50mm F1.4 EX DG HSM は描写力こそ素晴らしいがガラス球を詰め込んだような重さと大きさが持ち出すことを躊躇させる。性能が素晴らしいのであれば大きさはいとわないと思っていたが、ライカシステムは小型でありながらも軽量なシステムになっている。
ライカM型とはレンズとボディをあわせて設計することで、双方から余計なものをはぎ取りシンプルに仕立てあげたエコシステムなのだ。フルサイズのレンズ交換式カメラでこんなに機動性が高いカメラは他にはない。
レンズとボディをあわせて使うことで最高の性能を引き出すシステム。セットで使ってこそ、その設計思想を感じることができるライカというカメラは、使いこなす楽しさをボクに教えてくれた。
小型軽量なレンズシステムはいついかなる時でも高付加価値の撮影を可能にする
フィルムカメラは35mmサイズのフィルムに映像を写しこむ。デジタルで言えばフルサイズだ。フィルムを使ってきた人にとってみればフルサイズこそがカメラであってAPS-Cというのはコンパクトカメラの象徴でもある。
だからデジタルカメラが出て来たときにそのセンサーサイズにがっかりしたものだった。とは言え画質に関して言えばフィルムと画像センサーの大きさを一緒くたに比較はできない。ただしレンズを考えると35mmのフィルムに映し混むのに最適化された従来システムのレンズ性能を引き出すには、センサーサイズ35mmのフルサイズがもっとも適している。
つまりは35mmのフィルムに合わせて設計されたレンズを使いこなすにはフルサイズデジタルカメラが必須だ。ボケ具合、解像度含めてフィルムの雰囲気をつたえてくれるのがフルサイズだ。
ところがフルサイズに対応したレンズはとてつもなく大きい。これは一眼レフカメラの設計上どうしようもないことなのだ。ずっとそう思っていた。
ところがライカの設計思想であれば小型軽量でフルサイズに対応したレンズができあがる。
ライカのレンズは戦前〜100年前につくられたフルサイズレンズがたくさんある。この古い設計だが小さく軽量なレンズが現代のデジタルカメラにも適用できる。そしてもちろん最新設計のレンズであってもフルサイズに対応しているとは思えぬほどに小さい。軽い。時代の先端はシンプリシティ。軽薄短小は目指すべきところだろう。諸君も自身を持って軽薄短小になるべしだ。
レンズの性能を引き出すためだけにある設計思想はエンジニア垂涎ものだ
先にも書いた通りだがレンズありきの設計思想はとてもカッコがいい。設計思想としてシンプルで優れている。ボクが社会に出た時に選んだ仕事は自動車の設計だった。機械が大好きで高校生までは自転車に乗り、自転車屋でアルバイトをした。大学に入ってからは自動車部に所属しサスペンションを組みトランスミッションを交換し、エンジンを積み替えた。ボクが自動車部で活動していた時代は自分たちでいじれた最後の車だったこともあって車をとことんまでバラしては組み立てるを楽しめた。今の車はバラす楽しみがない。パソコンをつなげてチューニングするなどゲームの世界と変わらない。
クルマという製品をバラすとその設計思想が見えてくる。走るためにあるのか、生産のためにあるのか。
日本車のほとんどは大量生産のラインにのせ、多くの人に供給するようにつくられている。2TGという名エンジンをご存知だろうか。堅牢で軽く、高回転まで一気に吹け上がる気持ちの良いスポーツエンジンだ。ところがこのエンジンをトヨタの経営陣はあらゆる車に搭載してしまった。スポーツカーからファミリーカーまで。結果としてこのすばらしいスポーツエンジンはあらゆる人の手に入るようなリーズナブルなお買い得エンジンになった。
スポーツ走行が好きなお金のない若者にとってこれは朗報だった。バブルの頃、たった10万円でこの2TGが搭載されたスポーツカーを手に入れることができた。見かけはファミリーカーだが中身は本物のスポーツカー。お母さんに内緒でなければスポーツカーなど買えないお父さんにとって、これほど素晴らしい車はなかったであろう。スポーツカーあらゆる人に供給するのが当時のトヨタだったのだ。
さてライカをバラすとなにが見えてくるのだろうか?
撮影チャンスだ。すべてが撮るために必要な機能を凝縮した結果がそこにある。ただ撮るだけではない。最高の瞬間を切り取るための光学性能、その瞬間に撮影者を存在させるための機動性のあるシステム。最高の撮影品質を得るためにフルサイズに対応しているにも関わらず、どんな時でも撮影チャンスを逃さない、カメラを常に持ち歩ける小型軽量なシステムに仕上げたのは設計思想以外の何者でもない。
クリアな光学ファインダーは人間の目に優しいエコスタイルだ
電子ファインダーはとてつもなく便利だ。近未来的で従来の光学ファインダーではできないことを可能にする。これぞ新しいカメラだと思いデジタルカメラでは電子ビューファインダー付きのモデルを愛用してきた。
露出補正もエフェクトもすべて撮影前に確認しながら撮影できるなんて現像を待たずにはいられなかったフィルム時代からすると本当に撮影は楽になった。今の人は結果を目の前で確認しながら撮影できるから、写真の上達も早いだろう。フィルムは現像代もかかる、撮影から結果を知るまでに時間がかかる、つまり技術のフィードバックが遅かった。自分がなにをしたらこうなったというのが非常にわかりずらかったし撮影コストもかかったからなかなか写真が上達しなかったのだ。
少なくともボクはそうだった。お金もない高校生はサイクリングの写真をプリントするのにできるだけ安くてキレイにプリントしてくれるラボを探しまわったものだった。この歳になってようやく、まったく上手くならなかった写真も多少まともに撮れるようになったと主観的にだがそう思っている。そのように思いたい。
電子ビューファインダーにはこのようにものすごい利点があるわけだが、現実の世界に対して必ずタイムラグがある。そしてリアルではない。あくまで電子の世界であってバーチャルな世界だ。光学ファインダーは限りなくリアルを見せてくれる。飛び込んでくる被写体。七色の世界、空気感まで伝わってくる。なにより人工的に作られた光ではなく自然光が目に飛び込んでくるのが心地よい。
人工の光は人の目にどのような影響を与えるのであろうか。テレビから始まりパソコン、スマホと人の目に人工光がどんどんと近くなって来ている。ましては電子ビューファインダーは目に直撃する代物だ。そのEVFをじっと見つめて撮影していると目に与える影響を考えるのが少し嫌になる。
ボクは強度近視で緑内障を併発している。もうこれ以上目に余計な刺激は与えたくない。ならばこのようなブログを書くこともやめればいいのだが最低限やりたいことはやりたいと思う。なにせボクの人生を潤わしてくれたのはパソコンだからだ。パソコン一台で我が家は飯を食ってきた。光り輝くモニター含めてITの世界には感謝に絶えない。
しかしながらライカを使い始めてライカの光学ファインダーの明るさに驚いた。Canon 6Dを使用しているがファインダーの明るさが段違いだ。Nikon機やCanon機の光学ファインダーでマニュアルフォーカスをやる気にはならない。高校生の時に買ったOLYMPUS OM-1はマニュアルフォーカスだったがデジタルの時代になってからは全くやる気が起きなくなっていた。しかし電子ビューファインダーでは拡大表示が使えることを知り、もう一度チャレンジしようと思ったのだ。ところが拡大表示が使いやすい機種がなかなか見当たらない。それよりもAFで合わせてしまったほうが簡単で正確だ。というわけですぐにやめてしまった。
ライカはマニュアルフォーカスしかない。その潔さから久しぶりにマニュアルフォーカスをやり始めたが明るいファインダーのせいか結構いける。目の悪いボクではあるがまあOKレベルのフォーカスが得られることがわかった。フォーカスを合わせ露出を決定しフレーミングする。そしてシャッターを切る。この流れを改めてしっかりと基本に戻り確認する。しっかりとやらないとまともには撮れない。これがライカだ。
久しぶりに写真をしっかりと撮ろうと思えた。高校生の時、アルバイトで初めて自分のカメラを買い、信州へサイクリングに出かけた日のことを思い出す。どんな写真を撮ってやろうかと熱くなっていたあの感覚だ。
気になったのなら手にとってほしい
ライカという名前が気になったのなら、それが好きか嫌いかは問題ではない。心が感じたのであるのならば手にとって確かめて欲しい。
カメラとしては桁違いの価格に驚きとともにあきれてしまうかもしれない。だが写真が好きなのであれば多くの人を虜にしてきたライカを知ったかぶりで通り過ぎてしまうのは明らかにもったいない。それを経験せずには人生は終われないと思うのである。
ボクはライカが気になりライカの操作感を知れたくてFUJIFILM X-E2にカールツァイスを装着し擬似レンジファインダーを楽しんだ。これは楽しい。そう思い始めた時にふっとライカを手にすることができた。しかも最新のLeica M10だ。
こんな幸運は誰にでもあるものではない。だが誰にでもライカを手にするチャンスはある。その人その人その時の運命の流れとでも言おうか。きっと気になることに一歩踏み出して行動することでなにかを手にできるはずだ。
新品は高い。NIKONやCanonだってそうだ。ボクも中古カメラには何台お世話になったかわからない。